院長コラムhead doctor’s blog
揺るがない想い22.9.26
少し前に担当した患者さんのお話しです。
患者さんは、がんの終末期の独居の女性でした。
生涯未婚の方で、近所付き合いもなく自宅に出入りするのはご親戚1名だけでした。
初回訪問で伺うと、緊張した表情で開口一番におっしゃったのが、「独り者ですが、何があっても自宅で死にたいです。先生、可能ですか?」でした。
一切の迷いが感じられない明確な質問だったので、「もちろん可能です」と答えると一気に表情が緩み、「これで私の人生最後の悩みも解決したので、安心して死ねます」と言われました。
それからは、ご自身の人生の振り返りや死への想い、世話をしてくれるご親戚の方への感謝など、多くの会話を私達在宅スタッフと交わされていました。
それと同時並行で実行されていたのが、身辺整理/終活でした。
私が担当する患者さんで身辺整理/終活をしている方は少なくありませんが、この方は徹底的にされていました。
遺言状、死後の葬儀やお墓/お寺さんの準備だけでなく、自宅にある仏壇や家具の処分、死後に請求がある各種支払いの準備、死後の自宅の清掃や処分の依頼など、あらゆる事をご自分で関係各所に電話で依頼をされていました。
ですから私の訪問毎に、自宅の「物」が減っていき、最期は必要最低限だけしか残っていませんでした。
全ての終活が終わった時には、「先生、全ての準備が終わりスッキリしました」と、朗らかな表情で話されました。
「良かったですね」と声を掛けながら、私の頭には嫌な予感がよぎり、そしてそれは的中しました。
その後の訪問では、「私はいつお迎えが来るんですか?」「私はこの世になんの未練もないのに、何故お迎えが来ないのですか?」だけを話されるようになりました。
あまりにも完璧に死への準備が完成したので、生きる目標が全くなくなってしまったのです。
自暴自棄ではなく、本心から早くお迎えが来てと、毎日祈っておられました。
そして病状悪化による食欲低下以上に、経口摂取を控えるようになりました。
自らの死を早めるために、まるで安楽死の代わりに断食をしているかのようにも感じました・・・。
症状緩和のために薬剤調整はしましたが、それ以外は私にはほとんど成す術はありません。
ご本人は私の訪問をいつも心待ちにされていましたが、訪問後のクルマの中で私は無力感でいっぱいでした。
そしてその関係性のまま、最期の日を迎えてお看取りをさせて頂きました。
ご本人のお顔は穏やかでしたが、私のモヤモヤは消えませんでした。
在宅医としてまだまだ自分の未熟さを痛感したケースとなりました。
この経験は私が在宅医を辞めるまで忘れることはないと思います。
Nさん、担当させて頂き、ありがとうございました。
この夏の1コマです。
顔に下から当たる光と、背後の黒い影・・・。
流石お猫様、飽きずに楽しませてくれますね。