院長コラムhead doctor’s blog
深い深いテーマです20.7.27
「また起こってしまった・・・」
京都のALS患者さんの安楽死?殺人幇助?事件の私の第1印象です。
既に多くの医療者や組織がネットで意見を表明していて、連休中は情報収集していました。
事件の詳細が分からないので、私の意見を述べることは出来ませんが、雑感を書きたいと思います。
私の主たる役割は人生の最終段階に入った方への訪問診療です。
病気の種類は、がん・非がんを問いません。
現在担当している方にはALSの方もおられます。
がんであれ非がんであれ、今の医療ではどんなことをしても緩和することのできない症状=耐え難い苦痛は実際にたくさんあります。
そんな時に、ある患者さんは「死にたい」と言うし、ある患者さんは「死にたくない」と言います。
そんな方々を私は在宅スタッフや家族さんと共に担当しています。
耐え難い苦痛がある時/迫ってきている時、私は症状緩和に関するあらゆる手段を尽くしたかをいつも考えています。
何か忘れていることはないか?
私だけだと考えが偏るので、必ず在宅スタッフや家族さんとも相談をします。
もちろん可能であればご本人とも相談します。
ほとんどの真の耐え難い苦痛に対して、我々医療者は(医学的に)無力です。
傍にいて見守ることしか出来ません。
ご本人の苦痛の程度には遥かに及びませんが、医療者にとっても耐え難い苦痛です。
しかしそれが看取る者の役割なので、逃げることは許されません。
真の耐え難い苦痛の状態で、本心からの「死にたい」を言われたことが今までに何度もありました。
その時、私に出来ることは・・・。
ご本人の希望に沿えないことを、ただただ謝ることのみです。
謝罪の後には、必ず「希望には沿えないけども、明日もまた来ます」もお伝えします。
安楽死は難しい深いテーマで、様々な意見があります。
ただ真剣に議論することは、とても大切だと思います。
テレビのワイドショーのような表面的な議論ではダメです。
このブログを見て下さっている方は、是非一度ご自身の中で思慮して頂ければと思います。
安楽死について、どうして賛成なのか?どうして反対なのか?どうして中立なのか?
(安楽死と尊厳死は全く意味が違いますから混同しないで下さいね)
深い深いテーマですが、極めて大事なテーマです。
なぜなら、私も含めて全員が、患者本人として又は家族として、真の耐え難い苦痛に直面する可能性があるからです。