院長コラムhead doctor’s blog
寄り添うとは24.10.28
在宅医療に限った話しではありませんが、「私は相手に寄り添って〇〇をしています」とか「私は相手に寄り添うことを心掛けて〇〇をしています」とおっしゃる方と時々出会います。似ている言葉ですが違いが分かりますか?
在宅医療でもご本人/ご家族に寄り添うことはとても大切ですし、常に私も心掛けています。
しかし実際に寄り添えているかどうかは非常に難しいです。
何故なら、それは私ではなく相手が判断することだからです。
私としては精一杯寄り添ったつもりでも、相手からすると逆の感想をお持ちだったことが何度もありました。
相手から望まれていない「寄り添い」は、単に「ありがた迷惑」でしかありません。
ご本人とご家族が同じ気持ち/方針の場合は比較的寄り添いやすいですが、逆の気持ち/方針のケースでは寄り添うことは大変です。どちらかに寄り添えば、もう片方には寄り添えないのですから。
訪問中は出来るだけ話しやすい雰囲気を意識していますが、それでもご本人/ご家族が常に私達に本心を話される訳ではありません。
ではどうしたら真の意味で寄り添えるのでしょうか?
今年お亡くなりになった石飛幸三先生は次のように話されています。
「相手のリズムや呼吸に合っているか?」
いくら医学的/看護学的に正しい事であっても、相手がそれを必要としているのか?
その評価が大切であり、その結果として「敢えてしない」「敢えてする」ことが求められると石飛先生は話されています。
昨今のガイドライン重視の医療、(医療機関側の)リスクマネージメント重視の医療、効率化重視の医療では業務の標準化/ルール化を進めていますので、この個別的に「敢えてする/しない」などということは論外とされることも少なくありません。
また、寄り添いを心掛けるには時間も必要です。
どうして「敢えてしない」「敢えてする」のか、ご納得頂けるまで丁寧な説明を行うことが大切です。
私は開業以来、ご本人/ご家族の前で「次の訪問があるので失礼します」とは極力言わないために、お一人ずつ十分な時間を確保して訪問しています。
「敢えてしない」在宅医療の部分だけ切り取られると、私は患者さんを見殺しにしている無能な医師と見ている人も少なからずいることでしょう。
そういった意見は意見として伺いますが、それでも私はご本人/ご家族の方を向いて、たとえ非効率的であっても、ご本人/ご家族に寄り添うことを心掛けて在宅医療をしています。