院長コラムhead doctor’s blog
無言の先にある言葉25.4.28
過ごしやすい季節は年々短く感じるようになり、すぐに終わりそうですね。
日々の訪問では患者さんとご家族の病苦、精神的苦痛、不安、悩みに直面します。
それらを率直にお話しされる方にはまず聴いて、求められれば私の考えやアドバイスをお伝えします。
しかし、常にご自分から話される方ばかりではありませんし、思い詰めたり家族や我々在宅スタッフに気を遣って話せない方もおられます。
私は全ての患者さんと家族さんをよく観察しています。
もちろん限られた時間内で全ての事が分かることはないですが、それでも理解を深める努力は常にしています。
ご本人が何か言えない/言い難い事があるのではと私が感じた際、ある作戦を実行します。
それは「敢えて無言の時間を作る」ということです。
時間にして1~3分でこの数分はとても長く感じますが、ご本人から次に出る言葉を待ちます。
待つ際にはご本人の性格を鑑みて、視線を合わす/敢えてそらす、手をそっと握る、ご本人との距離を近づける/遠ざける、無言の間の表情や仕草の変化を見逃さない、数分待っても言葉が出ない時の次の声掛けのタイミングなど様々な事を考えながらご本人の言葉をお待ちします。
「実は・・・」
「家族に気を遣って言えなかったのですが・・・」
「聞くのが怖いですが・・・」
「先生だから話しますが・・・」
「私はあとどれくらいですか?」
無言の先に本音の言葉が表出されます。
私が予想通りの言葉や質問が出る時もありますし、逆に想像もしなかった言葉が出る時もあります。
答えられない問いを投げかけられ私が無言になる時もありますし、何も言葉が出ない時もあります。
無言の時間を作るにはある種の勇気と覚悟が必要です。
しかし必要だと感じた患者さんには私は躊躇なくトライしています。
何故なら患者さんの本心に触れることができ、言い難かった本心はご家族にとっても救いとなる事が少なくなく、質の高い在宅医療の提供には必要だと確信しているからです。

狂言を初めて鑑賞しました。
94歳の人間国宝の芸を目に焼き付け、59歳の筆舌に尽くし難い芸を存分に見せつけられました。
生で見る「MANSAI ボレロ」はやはり最高で、一生の宝です。