院長コラムhead doctor’s blog
静岡がんセンター19.11.7
私は以前がんセンターで勤務していたことがります。
和歌山にはがんセンターがないので馴染みがない人も多いと思います。
何故がんセンターで勤務したかというと、抗がん剤治療の専門的な経験を積むためです。
何故抗がん剤治療の経験を積もうと思ったかというと、緩和ケアに必ず役立つと考えたからです。
がんと診断された患者さんが手術が出来ない状態であれば、否が応でも抗がん剤治療しかありません。
そして抗がん治療が終わると、緩和ケア専念となります。
つまり多くのがん患者さんは抗がん剤治療を経験することになります。
しかし抗がん剤治療の専門的な経験を積める病院が約8年前は和歌山にはありませんでした。
将来、自分が緩和ケアの仕事をするのに、抗がん剤治療の経験は必須と考えました。
そこで当時の教授に志願してがんセンターでの勤務を希望しました。
当初は許可が出なかったのですが、1年以上かけて教授を口説いて、というか私の説得を諦めてもらって許可を頂きました。
私が勤務した静岡県立静岡がんセンターは、消化器内科の世界では全国トップ3の病院でした。
名前の通り、がん患者しか診ない、がんの治療と研究に特化した病院です。
(がんセンターの目の前で交通事故があっても、救急車は別の病院に行きます)
研修医は雇用しておらず、一番若い医師で卒後5年目で、私は卒後8年目で行きました。
大学病院の系列には属さず、全国からがん治療/研究をしたい医師が集まっていました。
医師の身分はスタッフとレジデントというたった2つだけです。
レジデントは私のようにがん治療を学びたい若い医師で、2~3年の雇用契約で、その後は業績を認められたレジデントだけがスタッフへ昇格、それ以外のレジデントはがんセンターを去るのみの2択でした。
各科に凄腕のスタッフがいますから、患者さんは地元の人だけでなく遠方からもやってきます。
静岡がんセンターは新幹線の三島駅に近いので、東は東京、西は名古屋からでも来ていました。
院内も素晴らしい設備と人員が揃っていて和歌山では見たことのない病院環境で、勤務前は楽しみでワクワクしていました。
しかし、勤務が始まって1週間で私の顔から血の気はなくなりました・・・。
続きます。